<駆け抜けた意識のLog> 旅は続く

未来意識®デザイナー ICHIU / 一宇 人々の意識を豊かにデザインする専門家。世界を旅し「現実は“愛しい”幻」と気づく。高次元の世界観「未来意識®」提唱。意識×テクノロジー融合。マボロシをリアルに生成。延べ8000名をデザイン。講座開催5000回超。新時代のAI講座も実施。2社経営
20才から始めたひとり旅、世界をバックパッカーとしてまわる旅を通じて「現実は、世界の果てまで行っても意識が映し出す世界」と体感。その後人智を超えたインスピレーションを受け取るように。世界を旅する中、宇宙の叡智「未来意識®」を受け取り、その世界観を基軸とした活動は33年。
以後、未来意識を基軸にした企業研修・ゼミ、教育機関、企業・ホテル等コンサルタント、NPO法人の立ち上げに関わり地方再生・リノベーション・地域通貨・シェアリング等の研究・実践を行う。他リトリート運営など様々なことを展開。講座、講演講師、も述べ8,000人の意識をデザイン、講座は5000回を超える。
会員向けの書籍も多数発行。
他『私を変えた<聖なる体験>』(春秋社)でインタビュー記事も掲載される。

未来意識®メッセージの根幹の一つ「この世界はすべて幻」があります。「未来意識ポストリアリティ」とは、テクノロジー(VR/AR/AI)と意識の融合により、新たなリアリティを創造する概念 です。単なる仮想現実ではなく、「意識の使い方次第で、私たちがどのように世界を体験するかが変わる」ことを示しています。
私はエンジニアではありませんが、意識の専門家として33年間、テクノロジーと意識の関係を探求し続けてきました。XR、仮想現実、メタバースといった技術は、まさに「意識の拡張現実」として機能します。未来意識シンギュラリティ®は、AIが人間を超える概念ではなく、「人智を超えた意識の拡張」 を意味します。
私は宇宙にアクセスする頃より、パーソナルコンピュータMacにハマり、四六時中PCの前に座り、パソコン通信、インターネットの概念、ストリーミング、仮想現実の世界に夢中になり、同時にフライヤー制作・web制作に没頭しました。私はエンジニアでもありませんが、私はエンジニアではありませんが、意識の専門家として33年間、テクノロジーと意識の関係を探求し続けてきました。XR、仮想現実、メタバースといった技術は、まさに「意識の拡張現実」として機能します。未来意識シンギュラリティ®は、AIが人間を超える概念ではなく、「人智を超えた意識の拡張」 を意味します。
現在のAIもそうですが、宇宙の叡智とコンピュータの概念はとても例えやすく、テクノロジーと精神の分かれ目もさらにボーダレスになっていくことでしょう。
特性 Story
幼少期〜小学時代
祈りが叶わない 神様はいるのか?
キリスト系幼稚園で初めて聖書を手にして、祈りを知る。子ども心にある願いをかけたが叶わず不信を覚える。のちに次元の違う情報ソースとコンタクトすることで、神という存在が人間の思う神とは大きく異なっていたことを知る
初めての病気
幼稚園時代は、体が弱く初めての病気は「急性気管支炎」。(肺・呼吸)のちに開発する呼吸・瞑想の重要性インナーマインド・フルネスのその伏線がここにある。我から自分へのマーキング
4才 迷子
家族全員で百貨店に買い物に行くが、途中はぐれて迷子に。ひとり待っている時、友だちの家に行こうと思いつきそのままひとりで電車・バスを乗りつぎ友だちの家へ。家族から連絡が入り、事なきをえたが今日の迷子の出来事を家族向けに漫画新聞として発行。のちにマスメディアに勤めるが、初めての情報発信のルーツ。そして、初めてのひとり旅。のちにひとり旅で全国、そして24ケ国まわるとは
境界線の不思議
小学時代、不思議に思っていたこと。学校で自分の机という陣地が実に不思議に思えた。また、物になぜ「自分の」というのがつくのかという疑問を感じていた頃
初めての拡張現実AR ティンカーベルのようなもの
低学年の頃、外で遊ぶと草むらで軽やかに舞う、小さなティンカーベルみたいな存在をよく見ていた。今でいうARのような感覚だが、自然にそういう存在たちがいることに親しんでいた。だが学年が上がる頃、その存在も忘れていく。ここで一度それらの存在を封印
SOHZOH そーぞー
何か想像するのが子どもの頃から好きだった。それをそーぞーと読んでいた。この頃からあらゆることを頭の中で色々空想上の世界を想像・創造して夢の中でも遊んでいた
教会 神父さんに聞くも
小学3年生の頃、友だちが持っていた教会のカードが気に入り、それを目当てに通うように。あるとき神父さんに、常日頃ギモンに感じていた死について聞いたところ、「そんなことは知らない」と言われる。自分が不思議に思うことは、大人になってもわかるのではなく、知らないものは知らないんだと。それからずっとずっと知りたかった宇宙とか、心とかの謎が未来意識との遭遇で解かれることになる
中学時代
4月から新たな地 横浜へ
湘南から横浜の方に引っ越す。
お菓子・果物時代
小学時代から中学まではお菓子と果物で生きていた。ご飯を好まず食べる量も少なく偏食。お菓子の家に住みたいと本気で信じていた
読書三昧 SF小説から歴史まで
小さい時から漫画も含めて本が大好き。両親ともに出版社だったことから、子供の頃から本が周りにある環境だった。SFから歴史小説まで幅広く読み漁る。特にこの頃SF御三家の星新一の世界にはまる。本の行間を感じ、イメージすることも楽しく感じていて、そして何かを「書く」ことも大好きだった。「書く」ことでひらめきを感じ表現するのが心地よく、交換日記も同時に8冊こなす
バレー部
小学5年の時からはじめたバレーボール。中学時代の顧問の先生はバレー経験者ではなかったため、練習のプログラムも自分で発案。人に伝え共にチームとしてつくっていくおもしろさを知る。同時に体調の悪い時や気が乗らない時の体について調整を覚え始める。 中3引退前膝を痛めしゃがむと激痛が走るように
16才 意識のダイバー(探求)スタート
心の安らぎを求め・無なんてあるのか
中学時代膝を痛めるが高校もそのままバレー部へ入部。右膝の激痛から始まり、左膝、腰も椎間板ヘルニアとなり、ぎっくり腰も10回以上。さらに両足捻挫等ケガだらけの日々となり、あれほど大好きだったバレーボールが大嫌いで日々耐え忍ぶものになる。常に体が痛く、腰が曲がり、徹底して体とは何かと向き合うことに。体の痛みを気にして常に不安で、何をしてもおもしろくなく気が滅入る。感情の起伏も激しくなり、心と体がつながっていることをこの頃痛感。部活は最後まで続けるが、引退後腰を治そうと治療法を求め必死に探すが、一向によくならないことに絶望を感じていた
心のしんどさは決して外に表さず、明るく振る舞っていたが、この頃の日記には、「真の安らぎとは何か」を書きなぐっていた。 座禅にも興味を持っていたが、目を閉じても雑念ばかりとなる状態に、無なんてあるのかと家族に問いかけていた。その問いが宇宙を知りたくて知りたくてたまらないという思いにつながっていく
願望達成・哲学書の本を読み始める
痛みよりも痛さに振り回されている心をなんとかしたく、願望達成、哲学、精神論に興味を覚え、意識のダイバーが始まる。夢を通じてメッセージを受け取るようになってきたのものこの頃。
瞑想スタート・拡張現実・少しずつ交信が始まる
当時は瞑想というと修行のイメージが強く、修行はする気にはなれなかったが、無なんてあるのかと、安らぎのある心の状態を知りたくて、本を読み自己流で始める。ただ長続きはしなかった
この時期、竜や鳳凰をうつすようになるが、まだ交信というよりおぼろげながらな感じというイメージ
能力開発 『マーフィーの法則』を手にする
願望達成するには、どうやら心や潜在意識が関係あるらしいと知ったのがこの頃
自宅のサウナ「夢殿」と名付ける
腰をよくするために父が遠赤外線のサウナを購入。この頃熟読していた聖徳太子の漫画『日出処の天子』に登場する瞑想空間「夢殿」にちなみ、サウナにその名をつけ、夢殿に籠ると言ってサウナに入っていた。のちに開発する未来、宇宙とつながる祈りの空間、開発した瞑想室のひとつにもその名をつける
数学2点 大いなる特性
できる・できない、嫌い好きとか
この頃勉強や運動は、努力をした分それらは裏切らないと信じ込み、ひたすら努力することに邁進してきたが、高校1年が終わる頃、やってもできないことがあるということを知る。のちにここまで完璧にできないことも宇宙から大いなる特性だと知る。特性とはスッとやってしまうものと、全くできないものも特性であり、何かの拍子でポンと翻る
同時に大嫌いなものも大好きになり、大好きなものをそうでもなくなることがある。好きとか嫌いというのも網の目のひとつ
教師への反発・エスケープ
他の教科はよくできたが、理数の特に数学が全く意味不明で、先生とも合わなくなり、数学の授業では空いている教室下の小さなドアから忍び込み、姿を消していた。
今は数字が宇宙につながっていることも知るが、数学はこの世から消えてしまうことを望んでいた
静中動 動中静
現代国語の作文で、「静中動 動中静」を書く。また、芥川龍之介「蜘蛛の糸」の続きを書くという課題で輪廻転生について書いたところ学年1位となり、日記とは別に心について書きはじめた起点
不幸ランキング世界3位の設定
インターネットのない時代、そして世界はとても狭い時代
この若さで腰は曲がり、腰痛のため歩き方も変。膝も曲げると激痛、すぐにケガばかりする。冷え性もひどくなり、顔にも吹き出物が出てたり、一番いい時代(これも思い込み)にわたしは何て不幸なのか。わたしは世界3位ぐらいの不幸な人間だと(1位や2位ではないかもしれないがベスト3には絶対入る)頑なに思い込んでいた。
そう言う面では世界とは我ひとりのものだから、信じた世界が現れる。迷いの森に入り、ベスト3位はしばらくの間死守し続けた
気持ちがジェットコースターの謎
その日いいことがあり舞い上がると、次の場面そうではなくなる。この法則があることに気づく。わーっと駆け上がるとその勢いでまた下るのは、思いが強すぎるとゼロに戻る宇宙のしくみが働くことを後に知る。「思いをつくり思いを失う」。思いは軽くするのがカギ
怒りのエネルギー
受験期母に言われた一言に、物凄い怒りのエネルギーがわき大爆発。このエネルギーはどこから来るのかと思うくらい、イライラとは違う、非常に激しく突発的なものだった。後日この怒りのエネルギーを何かに役立てることはできないかと日記に書いている。今ならわかる、エネルギーというもの
大いなるわがまま、へそ曲がり
みんながいいと思うものより、抜け道を探すへそ曲がり。「みんながいい」と思うことより、自らの感じたままに進むことを感じ始めた。それも淡々とすればいいと
受験期
願いを叶うには、自分の大好きなものをやめてみるといいのかもと、ふと思いつき、大好きなお菓子を一切口にせず勉強した。
何かを手放すと入る、これは宇宙の流れ、お金でもなんでもそうで、保険的考え方を取り払い、開けると入る
学生時代
はじめてのひとり旅
20才。初めてのひとり旅を経験する。インターネットのない時代、国内初岡山・広島・島根の旅を経験。途中持っている銀行カードがその地方ではおろせず困っていた時、いろいろな人との交流でご飯を食べたり、地元の人しか知らない場所に連れて行ってもらったり、お金ではない、何者でもない旅人のいこごちのよさを覚える。以後国内はすべて、海外も24ケ国まわり、宇宙とのアクセスもはっきりしてくる
整理とカオス
整理する、システム化する、整うことが大好きな反面、混沌としたカオスの状態、例えば旅なら東洋と西洋の交差しているところ、異文化の交わっているところが好き。一方墨絵の奥深さも好み、カラフルな鮮やかさも好む。一体どれが自分なのかわからないことにモヤモヤしていた頃
人間関係の相性の不思議
高校生の頃から、大学になると如実に人間関係の不思議さを感じるように。この人とは合うのに、あの人とは合わないという相性というものが非常に不思議だった。未来の叡智にアクセスするようになり、関係というものが自らの中にあるものだとわかり、進化するために現れたキャスティングだと知る
悩みは誰かに話しても仕方ない そんな思いからの交信
世界ランキングからは解放されたが、表向きは華やかに見えるだろうその心の内は比較の波にのまれる日々。この思いを誰かに話しても、わかるわけがない。はじめて様々な疑問を投げかけたのが、宇宙との交信。
まさか自分がセッションやコンサルをこんなにする流れになるとは。だから生きるのは冒険で、おもしろい!
ものすごい凝るという特性
子どもの頃から常に何かに夢中になり、それもひとつではなく寝食忘れとことん物事を突き詰めたくなる。意識の粘り、同時進行は特性中の特性
すべてが精神世界 魂の夢が映る
叡智のダウンロードをインストールする重要性
大学時代に初めて能力開発プログラムを受講。そのプログラムに、日本の精神世界・スピリチュアル系の翻訳家山川氏夫妻の講座があり、初めて「チャネリング」という言葉を知る。それから自分の宇宙との交信も定まっていき、ともかく、宇宙とな何かをとにかく知りたくて知りたくて突き上がるその思いが溢れてやまない。交信をうれしく感じながらも、この概念を自らの現実に生かすのはまた別だと感じ、その頃精神世界系ワークショップに集まる人たちが現実離れしていて、お金や現実に弱い印象を受けて何か違うと感じていた。
ダウンロードして、現実にインストールすることの重要性を感じ、実践していくようになる
メディア勤務時代
経済新聞社の就職誌を扱う出版社へ入社。大学生向け就職誌大企業版担当。この時に300社以上の大企業・社長のインタビューを記者・カメラマンと同行。編集者としての立ち位置でのわたしも多くの社長室を訪れ、その考えを知ることになる。そのインタビューを通じて、いい感じに権威・権力というものに対しての思い込みがガラガラと崩れ、大企業の社長という雲の上の存在から、ひとりの人としてとらえることができるようになったのは、大きな宝となった。通った道に間違いはなく、経済、資本、会社とは、人事、仕事とは、お金とはの多くを学び、宇宙の叡智を受け取るようになって、それらの新しい意味づけを知るため宇宙は見せてくれた
通勤中車内で気絶 意識がなくなる
突然目の前が壊れたテレビのようになり、気がつけば
電車の椅子に寝かされていた。駅で降露され、そのまま救急車で搬送、脳外科病院へ。脳外科で見た光景。自分では初めての出来事で、すごいことだと思っていたが、自分より遥かに上回る重症患者の人が次々と搬送され、自分はなんだ、大したことがないんだと悟る。
かなり放置された後、白衣の医師に、あなたは狭い空間でいたら真っ先に死ぬ、水泳ダメ、お酒ダメ、ダメなものを連発され、大量の薬を手渡されるが、でもそんなダメなものばかりで生きてはいけない。それより医師の振りかざす権威と圧力に腹を立て、そして何よりこれは飲まなくていいとの感覚で、その薬は駅に捨てる。医療や薬を否定することではないが、自分の体の感覚の信じ方、これは自分で治すという意思がいる
すべてにもがく
会社を辞める
仕事はとてもやりがいを覚えていたが、1日3社インタビューで回り、テープ起こし、校正の徹夜の日々。激務に体がだんだんついていけず、腰もさらに悪化して、どんどんきつくなる。
叡智を受け取りながらも忙し過ぎるあまり、日々の生活に没頭。この生活が楽しい反面、もっと自分を見つめ、環境を、現実を変えようと、会社は3年で退社
治らなくていいと心から思えた時、腰は治った
仕事を辞めて、心が楽になり、ふっと股関節の調整を自分でしてみた。ずっと足の長さも違い、靴のかかとの減りも極端に違い、いろいろ通うが治らない。すでにあきらめて一生このままだと思っていた頃、何気ない動きをした時スッと痛みが消えた。体に限らず何かを強く追い求めるときはそうならず、力を抜いて宇宙にまかせた時、願いの臨界点に達することを知る
霊能・占い・家相
それぞれ一度だけ見てもらうことに。進む選択を決める時、霊能者、占い師、部屋の気を読むと言う人に来てもらうが、どちらでもいいような回答を受ける。その時、結局物事は何か人に言われたとしても、自分で決めていることだとわかる
相手・空間・環境も意識で想像されているもの、外にはない
映画三昧
当時1日2本〜3本見ても飽きず、特に単館で名画を扱う映画館に足繁く通っていた。単純な HAPPY ENDの映画には疑問を抱き、人の気持ちはそう単純ではないと、シンデレラストーリー、白馬の王子様的な考えが非常に苦手で、無理やりHappyみたいな作り方に疑問を持つ。それより、苦しむ中でどう人は立ち直っていくののか、
不幸にあった時、逆境に会った時人が立ち上がっていく、型破りで冒険をしていく、概念を変えていく、そんな映画
を好んで見ていた。
概念を常識を変えるもの、それらは宇宙が表すメッセージ
20代半ば 食の研究 半断食 宇宙理論
食にも宇宙の理論があることを知る。食べることが大好きで、高校時代は1日8食食べていた。特に甘い物には目がなく、腰の不調からくる体全体の不調に、ただ食べたいものを食べたい時好きなだけ食べる生活が一変。食と睡眠と、体と心がこんなにも連動していることに気づく。次の会社へ勤務する間の半年間、半断食を経験。食も呼吸。インナーマインドフルネス開発も宇宙の叡智と実践により創造される
本格的なひとり旅へ
旅を通じて宇宙とつながる
自分探しの旅 自分なんてどこにもいないことに気づく
全国の寺社仏閣巡り
パワースポットという言葉もない時代から、全国のお寺、神社を尋ね歩く。最初は20才の時、奈良県の天河神社を訪れれ、様々な異空間、異次元体験を垣間みる
「場」の大事なことを宇宙から伝えられるが、それよりも日々の想念が大事だとメッセージを受ける。
異次元とは意識の拡張現実(AR)
鳳凰や龍、天狗や空を飛ぶ亀など、見始めたり、空間移動をするようになり始め、目に見える領域だけではない存在を多く映すようになる。同時に多次元的な場面が存在していることも体感し、いくつもの我がいる、平安時代のわたし、イタリアのポンペイにいたわたし、「わたし」というものが拡張し、コンピュータの用語で言えば、拡張現実だと気づく
初めての遺書を書き 単身エジプトへ
自分を変えたくて、変わりたくて、そんな湧き出る思いから、海外へのひとり旅を決意する。
当時はスマホもなければ、ネットの環境もない。頼るは自らのみ。しかもアフリカ。東洋の20代女性という、幻とはいえ命がけの旅へ出かける。当時はエジプトのひとり旅を取り扱う旅行会社は、ほとんどなく、東京・渋谷にあった小さな旅行会社を訪ね、片道の航空券と、1泊のホテルだけ押さえ、死ぬ思いで決行。
行く前何度か決心が揺らいだが、結果エジプトへの思いと自分を変えたい思いが勝り、でも最悪のシミュレーションをして、遺書を部屋に残して出かけた。
大緊張の中3週間の旅を回り、もう自分を宇宙を信じ、身を委ねるしかない環境となる
世界の果てまで、幻の世界
エジプトの旅あたりから、空間移動、確かに実在しているように見えてもすべてが幻の世界、バーチャルリアリティの世界だと感じ始め、数多くの体験を見せてもらう。
のち宇宙に確認したところ、現実の拡張だと伝えられる
インスピレーション ・対話
いきなり宇宙とのコンタクトが始まったというより、徐々にコンタクトが始まっていた。旅を通じて宇宙からのメッセージを受け取るようになるが、幼少時代の精霊を見ていた時期もあり、その伏線はある。
最初英語でメッセージが来て、その後漢文調で、それから調整をかけてこちらがアクセスした時未来から答えをもらうというスタイルにする。宇宙との約束事みたいなもの
「慈から始まる宇宙メッセージ
日本語としてメッセージを受け取るようになった最初の言葉が「慈」。この光の波長からすべてが始まり、言語や言葉というよりエネルギー・波長であることを感じる。非常にあたたかでやわらかい光に、涙が止まらなかった。それから選び抜かれたメッセージが溢れるように現れ、それをまとめた『未来からのレポート』として会員向けに発行している
▼この頃取材を受け、掲載されています
新聞社 仕事と呼吸法指導
勤務し始めていた新聞社で、この叡智を気功・呼吸法にして、社員対象に週1 、会議室で3年間教えるようになる
後のインナーマインド・フルネスの原型がここに誕生する
個人セッションを本格的に始めたのもこの頃から。
未来の叡智で意識を変えるパーソナルセッションはのべ8,000人を超える
未来の叡智を形(現実)に
パーソナルセッションや講座・講演はダイレクトなものから、これらの叡智を様々な形で表現していく。
天とつながりそれを歌や絵画、音楽で表現する魂がいるように、それをあらゆる日々に叡智を生かしていくよう意識をデザインするように、意識の書き換えを行う
独立 フリーランス 会社設立
新聞社を退職後、すぐにMacを購入。DTPやパンフレット制作を請負、仕事にしていく。まだインターネットが普及する前、パソコン通信からスタート。
会社員時代とは違うお金の流し方
信で人との意識の乗り合わせで、お金は流れ、
龍を知りことで、水(お金)が流れる
Mac・インターネット・コンピュータが概念を変えた
独立後すぐにMacとプリンタを購入。当時は16MBで編集ソフト、Illustrator、Photoshopが動いていた。Macは本当によくフリーズしたが、アイコンを生み出してくれたコンピュータの概念を変えてくれ、夢中になる。
まずDTPに取り組み、出版の工程が自分で書いたものがすぐに形に表せることにハマり、寝食忘れアイデアを形にしていく。
パソコン通信を始める。ここで初めて顔の知らない見たことのない人との通信を体験。MAC購入後、自らの世界もまた大きく変容
宇宙とのコンタクトと、コンピュータにハマる時期が同時期のため、
この辺りは未来意識出版『現実仮想世界』で詳しく
地方での暮らし・デュアルライフ・土地霊(データ)
祈りと暮らしの瞑想空間
シェアリングの研究・実践
シェアという言葉がまだ一般的になる前から、会員間で「所有」についての再構築をしていた。人が何十人もいる中で、どうして別々の方向を見ている必要があるのか、そんなに車はいらないはずということで、ただ人々の暮らしと意識を見つめてきた。もともとシェアという概念は、古くからあった暮らしではあるが、現代の各家族時代に育った世代で、新しいシェアとは何かについて、車、洋服、家具、そして自らが不要になっても他に必要な人はいる物の考え方や、お金概念とは別に、新しい通貨の研究・実践。何が人がシェアができ、逆に抵抗・感情がでてくるところはどういうことなのか、人の意識とシェアいついての研究実践を行う
土地・不動産・リノベーション
土地は不動産につついての新たな考え方は、「データ」というとらえ方。土地のシェアもできるのかどうか、「所有」という考え方に対して根強く残る概念への挑戦。自分のものを持つこと、それは物だけに限らず人も名誉もお金も持っている方がすごいという価値観創造から、新しい
リノベーション
物も人も活かす
日本では中古はあまり好まれない傾向があるが、中古の物件も以前のデータを生かしつつ、新たなものにつくり上げる、そこの「空間のデータを活かす」という発想のもとリノベーションを行う。
一般的に建物をつくるときに地鎮祭から始めることも多いが、未来意識では祈りとMIGAKIを入れて、そこからリノベーションを起動する
新たな終活・葬祭
人が死に対しての恐れ・不安の概念や、葬儀に対する考えを新しくしたセミナーや活動を行う。会員向けに書籍も販売。